「ナイチンゲール 空気感染対策の母」書評

①東京新聞<コラム 筆洗>看護師の模範と仰がれる英国のナイチンゲールは、十九世紀のク…
2022年11月18日 06時31分

看護師の模範と仰がれる英国のナイチンゲールは、十九世紀のクリミア戦争の現場で兵士をみた。感染症が猛威をふるう病院の環境改善に努め、換気の重要性を訴えた▼著書で、看護で大事なのは「患者が呼吸する空気を外気と同じように清浄に保つこと」と説いた。「空気は常に戸外から取り入れなければならない。しかも新鮮な空気が入ってくるような窓を利用しなければならない」とも。感染症の知見が確立していない時代で、福岡の医師向野(こうの)賢治さんは自著『ナイチンゲール 「空気感染」対策の母』(藤原書店)で「感染対策分野の先駆者の一人」と評す▼換気が難しい季節が来た日本で新型コロナウイルスの感染者が増えている。増加が目立つのは北海道や東北、長野などの寒冷地▼この冬は、インフルエンザの同時流行も懸念される。政府は飲食店の営業時間短縮要請などはしない方針と聞くが、感染者が増えれば酒食を控える人はいる。年末の書き入れ時を前に店主らは浮かぬ顔という▼ナイチンゲールは、看護では空気に敏感であれとも説いた。「静かにしているときに、そよ風が頬をなでるのが感じられるほどでなければ、空気が新鮮であると気を許すことはできない」▼日本人が肌で感じる世の空気はいつ変わるのだろう。医療の逼迫(ひっぱく)を心配せず、周囲の目も気にせずに杯を傾ける日々はそろそろ、戻っていい。

②島崎博氏

③高橋公太先生
高橋公太先生書評

④Vogelsang氏

vogelsang

2024年4月29日に日本でレビュー済み

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著者は、感染症専門医として臨床の傍らCDCガイドラインの日本での普及に携わり、このコロナ禍ではエアロゾル感染対策を率先して提唱してきた方。30年来フロレンス・ナイチンゲール(以下、FNと略)を密かに研究してきた著者が満を持してコロナ禍で看護雑誌に1年間連載し、その記事を書籍化したのが本書である。現場の看護師・看護教員を対象読者層としており、平易な文体で読みやすい。
 通俗的なFN伝は、FNが突然変異的天才として登場して近代看護を確立したかのような偉人伝になりがちであるが、著者は年月をかけて多数の文献を読み込んだ蓄積を元に、幅広い視野からFNを捉えている。FNの家系の特徴、FNに影響を与えたキリスト教ユニテリアン派の思想やユニテリアン派人脈、シスモンディ、ケトレ、スノウら同時代の思想家・科学者群像を手際よく整理している。家系図、地図、年表、グラフ、概念図など多数の明快な図表で長年の研究の蓄積を分かりやすく整理して惜しみなく提供してくれている。随所で感染症専門家としての本領を発揮し、「クリミア熱」(ブルセラ症)とその後の慢性症状で外出もままならなくなるFNの症例を丁寧に解説してくれている。それだけでも、日本でナイチンゲールに関心がある者必携の書である。
 さて本書の肝は、FNの看護論を「空気感染」対策として読み取る第4章と、FNによる近代看護の原理の発見が、いつ、どこでだったのか、そしてそれは何だったのかを推理する第7章である。(実はそういう、近代看護誕生の史実解釈の根底部分が、いまなお論争の焦点なのだ)。
 FNの 『看護覚書』(1860)は、日本ではほぼすべての看護学生が(海外でも多くの看護学生が)一度は課題図書として読まされると言ってよい基本文献であるが、これを感染対策論として学ぼうと思って読む看護学生、感染対策論として教える看護教員はまずいない。なぜなら、病原体説(germ theory)が勝利して以来100年以上、それは“タブー”な読み方だからである。FNは瘴気説(miasma theory)という今では“非科学的”として医学史では軽蔑の対象とされる理論を信奉していた。そのことを看護教育においては“腫れ物には触らないように”と避けて通る扱いがされてきた。なぜならFNの瘴気説を重要視すればするほどFNのなす議論は“非科学的”で無効なものとされ、FNの“非科学性”を言いつのってFNの名誉を損なうことになりかねないと思われたからである。FNの瘴気説はナイチンゲール看護論の全体像にとって取るに足らないエピソードとして扱う暗黙の習わしが看護界にできあがった。その結果、現代の読者には「飛沫感染症」(換気は重視されない)とされる猩紅熱(溶連菌感染)、ジフテリア、百日咳などにFNはなぜ換気!換気!とこだわるのか?と、感染対策論として読もうとするとFNの言うことはたんに時代遅れでトンチンカンなものにしか見えなくなってしまうのだ。
 他方、FNの功績とされるクリミア戦争での病院死亡率低下は、FNのクリミア到着後ではなく衛生委員会到着後にもたらされた。看護学界隈では、一般にはクリミア戦争中の病院の衛生改革(それが衛生委員会によってもたらされたことをぼかす、または衛生委員会の招集はFNの依頼だったかのようにほのめかす、また、奏功した衛生改革が瘴気説にもとづくことはぼかす)でFNが功績をあげ、そのとき近代看護が誕生(クリミア戦争前か、戦争中か、戦争後かはぼかす)のが定番だったのである。
 1)FNの瘴気説のFN看護論における位置づけは何か。2)FNによる近代看護は、いつどこでどんなものとして誕生したのか。この2つの問いがFN解釈の、また看護史解釈の根本問題としてくすぶり続けている。
(この2つにHugh Small1998が解答を与え新たなFN像を提示しているのだが、看護界の逆鱗に触れ、今なお排斥されている。)
 著者は現代のエアロゾル感染対策の視点からFNの感染対策論に合理的解釈を与えて本格的に論じ、第4章と第7章でこの2つの問いに著者なりの回答を与えている。
 おりしもコロナ禍の経験を経てWHO,米国CDCは従来の「飛沫感染」に偏った呼吸器感染症の感染経路の概念を廃し、エアロゾル感染を軸に新たな空気感染の考え方を打ち出そうとしている。本書はあらたな空気感染概念と歩調を合わせてFNの看護論を現代的な空気感染対策と接合しようとするものだ。
 百年のタブーを破ってFNの瘴気説を正面から受け止めようとする本書が広く読まれることを希望する。
 FN当時の瘴気説とコンタギオ説の科学論争について真剣に検討した科学史研究としてはたとえば小川眞里子2016『病原菌と国家―ヴィクトリア時代の衛生・科学・政治―』がある。そこにはFNの協力者William Farrの「発酵病(zymotic disease)」理論の解説もある。今後は、本格的な思想史研究の方法論に基づいて、このレベルの客観性と解像度で瘴気説の意義を再検討するFN研究が望まれる。本書が新時代のFN研究への一歩となることを期待したい。
⑤えすていさん 2024/03/07
著者は感染症専門の医師である。ナイチンゲールがかかった病気(→ブルセラ症)や感染症の感染ルートから、統計の必要性、ユニタリアンの信仰まで深く突いていく。著者はナイチンゲールはクリミアでヤギ乳を飲んでブルセラ症になったと見ている。統計面に関してはリケジョとして文系男子には好かれるが理系には男女とも嫌われ者だと結論付け、統計を無視した伝記や資料を否定していき日本でも大学に医療統計の講座を置くべきだと説く。ユニタリアンに関してはユニタリアンの同胞に支えられたと。孤独と孤独じゃないを併せ持つナイチンゲール論だ。
 著者が統計や史料を無視したり軽視したり、あるいは史料と矛盾していたり時系列からしておかしいと否定しているのは、リットン・ストレイチーの伝記、ヒュー・スモール「ナイチンゲール 神話と真実」も挙げている。リットン・ストレイチーに関してはリケジョ統計家として見ていないナイチンゲール像の記述を厳しく糾弾し、スモールに関しては2ページにも満たない記述量だが完全に間違いだと突っぱねている。
 この本で今までのナイチンゲール本にあまりなかったのはナイチンゲールの家系だろう。それなりの量を費やしてる。母方から始まり父方へ。どちらも裕福な家系でナイチンゲールを支えた人物もこの家系からの親戚も少なくない。父方は鉛鉱山を所有していて、父親は国会議員選挙に立候補するが、理系人間の教養人である父親はこの時代の選挙に必要だった買収や根回しをしなかったため落選。落胆はするが有り余る財産があるため家は没落せず程なく元に戻る。由緒正しい家系を重んじるのは階級社会のイギリスらしいしナイチンゲールの仕事にも必要だった。
 ナイチンゲールの父親は富裕層人脈の広い教養人であることは知ってたが、既出のいくつかのナイチンゲール関連本を読んでる限り、政治家向きではないのは納得できる。清濁併せ吞んだり派閥を組んだり根回しの必要な政治家タイプの人間ではない。ただ、ナイチンゲール自身の仕事には「政治」の力も必要だった。そこは、親戚や軍関係をはじめとするナイチンゲール自身及びナイチンゲール家の人脈が必要不可欠なのは言うまでもなかった。人脈というより、コネでもある。コネといった方がふさわしいだろうか。
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