2011年1月アーカイブ

 1989年に大量の人骨が見つかった東京都新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地で、厚生労働省は近く、初めての発掘調査に着手する。この場所を巡っては軍医学校に勤めていた元看護師が「終戦後、進駐軍に見つからないように人体標本が埋められた」と証言している。発掘調査を求めてきた市民団体によると、戦時中に中国で細菌や毒物の生体実験をしたとされる関東軍防疫給水部(七三一部隊)の日本における研究拠点があった場所にあたるという。  発掘調査のきっかけは、戦時中に軍医学校に召集されて勤務していた女性が2006年、「終戦後に軍医学校付近の少なくとも3カ所で解剖した遺体の標本が埋められた」と初めて具体的に証言したこと。それを受け、当時の川崎二郎厚労相が調査の実施を明言した。  女性が証言した場所は、都立戸山公園に隣接する国有地(1)、その約250メートル東に位置し、89年に100体分以上とみられる人骨が掘り出された場所(2)、その南約250メートルの公務員住宅付近(3)の3カ所。  今回の調査地点はそのうちの(1)。元看護師は戦後、付近に設けられた国立病院の職員から「人体標本を埋めた場所に病院職員用の木造宿舎を建て、監視を兼ねて住んだ」と聞かされたという。  現場には、その後に建てられた公務員住宅や駐車場があったが、10年3月末までに全員が退去。同11月半ばに建物などの解体工事が終了した。厚労省は近く省内手続きを終え、発掘調査を行う事業者を募集する方針だ。現場は江戸時代の旧尾張藩の屋敷跡で、埋蔵文化財保護の面から地元の新宿区や東京都とも協議する。  (3)については、女性は「自分も人体標本を埋める作業を手伝った」と証言しており、国はこの地点でも調査を検討する。  市民団体「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」(代表・常石敬一神奈川大教授)によると、今回の調査場所は、七三一部隊を率いた石井四郎軍医中将が実質的に主管した軍医学校防疫研究室の敷地の一部という。89年の人骨発見場所も軍医学校跡地だが、防疫研究室跡地とはがけで隔たっていた。  七三一部隊の研究で知られる常石代表は「89年の人骨は発見場所からみて、七三一部隊とは関係なかったと考えられるが、今回は七三一部隊との関連が強いものが出てくる可能性がある。厚労省は結果に誰もが納得できるように、しっかりした調査を実施する必要がある」と話す。(武井宏之)      ◇  〈軍医学校跡地の人骨〉 1989年、現在の国立感染症研究所の建設工事中、地下約2メートルから頭蓋骨(ずがいこつ)や大腿骨(だいたいこつ)など大量の人骨が掘り出された。新宿区が専門家に鑑定を依頼した結果、「日本人とは異質とみられる骨」「ドリル、のこぎりによる加工の跡」があることがわかった。厚労省は軍医学校関係731戸山.jpg者ら368人に聞き取り調査やアンケートを実施。2001年、人骨は軍医学校にあった標本や医学教育用に集められた死体の一部との見解を示し、明治期以降に戦場から集められた戦死者が含まれていた可能性があるとした。調査に対して、「七三一部隊から送られてきたもの」との回答も一部あったが、「七三一部隊との関連は明らかにできなかった」と結論づけた。 asahi.com 2011年1月6日17時58分