HICA

クリミアにおける最近の疾病と死亡率の主な原因について

By John Snow, M.D.

クリミアにおいて最も多く、致死的であった疾患はコレラ、赤痢Dysentery、下痢症Diarrhœa、発熱症Feverであった。そして発熱症は、それについて私が学ぶことができるものによれば、チフスtyphoidであり、小腸の潰瘍を伴っており、結果としてクリミアで流行している疾患の全体は主に消化管疾患によって構成されている。

9月に私がthe Medical Times and Gazette誌に投稿した、ロンドン南地区におけるコレラ流行への給水の影響に関する通信は、この疾患はコレラ患者の排泄物を含んでいる水によって伝播してい くことをきわめて明確に示した。状況は、私が取り組んだ調査に非常に好都合であった。非常に大きな集団の環境と状況は全ての点で全く同じである。一部分がロンドンの下水を含む給水を受けており、別の部分は(それとは密接に混ざってはいるが)そのような汚染からは全く免れているという例外を除いて。前者の集団は過度にコレラに罹患する一方、後者はテームズ北のロンドンの人口に過ぎない。戸籍本庁の調査は、私が止めた時点で開始され、流行の終わりまで継続され、全体としてこれらの結果を確認した。
水はコレラ毒を運ぶことによってその効果を生み出していること(付属的あるいは誘発的原因として作用する、その一般的な不純物によってではない)が多くの事実から証明された。そもそも、水はコレラの時には、コレラ患者からのものをそれが含んでなくても、疾患への影響がなしでも非常に不純であるだろう。


多くのポンプ井戸や放置された貯水槽の不純な水は、このことの多くの証明がある。そしてサザーランド医師によって引用されたグローバー医師の発言「the Kent Waterworksからの水はthe Southwark and Vauxhall Companyから供給される水と化学的性質が非常に似ている」(Report on Cholera in 1854, p. 47)について私も言及できる。しかし私の調査と戸籍本庁の報告は、後者の水を供給されている集団はコレラに過度に罹患している一方、the Kent Waterworks から供給されている集団は罹患はあるが非常に少ない、水が地域的に汚染を受けていたDeptfordの2つの街を除いて、そのことは私が昨9月にthe Medical Times and Gazett誌に記載した。さてthe Southwark and Vauxhallの水とthe Kent Water Companyの水には大きな違いがある。前者はテームズ川から取っている。テームズ川は全ロンドンの下水を受けており、海運を拒否している。一方、後者はRavensbourne川から取っている、その川はコレラがほとんど発生しないLewisham, Eltham、Leaのいくつかの部分の下水からのみ汚染されている。
もう一つ別の環境、それは汚れた水が単にコレラの誘発因子ではないことを示している、
私がロンドン南地区でいくつかの事例に出会ったものであるが、そこでは人々はコレラのの流行していない国から到着後48時間以内にこの疾患に襲われた。つまり、これらの人々は到着後the Southwark and Vauxhall Companyの水を飲んだのである。

さいごに、コレラの1〜2症例がその避難が習慣的に溝や井戸(そこからの水を彼らは飲んでいる)を汚染させている人々の間で起きた後に、一度に多くの人々が罹患した事実は、水は病気の真に有効な原因を含んでいるということを示している。というのは、過剰な症例は単に常にある水のありふれた汚染によって引き起こされたなら、ある突然の強烈なアウトブレイクで起こる代わりに、それは流行の間中ずっとばらまかれているであろう。
水を媒介とするコレラ伝染の証明は、より直接的な方法による伝播、病気の毒素を水なしで飲み込むことによる伝播、貧しい人々の混み合った住居、炭坑、その他の状況における伝播の事実をもちろん完全に裏付けている。
クリミアで流行した他の疾患の伝染様式の証明は、コレラに関するそれと同様には決定的なものではない。このテーマに関して収集できる証拠は、それらがコレラと同様の方法で伝播であったことを示す傾向にある。赤痢は人の排せつ物を含んだ水の使用によって引き起こされる、あるいは持続することにしばしば気づかれてきた。これはその町の古い弊社の中でBell医師(Corkの)によって観察された (Dr. Cheyne on Dysentery, Dublin Hospital Reports. Vol III.) インドと中国の大きな川に停泊していた船の乗組員の間でコレラの流行が、熱帯気候で広まる病気に関する著述家のほとんどすべてに気付かれていた。そしてBryson医師は、赤痢と発熱症のどちらも揚子江、珠江や、 中国の他の川の水を飲むことによって引き起こされた多くの症例を記載してきた。 (Statistical Reports on the Health of the Navy. Part II. 1853.)  
他の不純物と共にインドと中国の大河は大きな集団の便を含んでいる、彼らの間では多かれ少なかれ赤痢は常に流行している。注目に値する一つの状況証拠は、Bryson医師と他の数人の著述家が上記の状態における赤痢と発熱症の症例における腸管寄生虫(主に回虫)の大きな発生頻度についてほのめかしてきたことである。
私はもちろん他の疾患と寄生虫が何か関連があると考えてはいない、しかしこれらの生物の存在は、他人の腸から由来する物質を飲み込むことに曝されてきたことを証明している。
;虫は、適切な生息地で動物によって生み出されるそれ自身の種の卵から発生することだけができるので。
the Medical Times3月31日号318頁に, Prentice氏はオーストラリアの小川の 未完成なコースでプールの水を飲むことによって赤痢にどのように罹患したかを説明している。その居留地はかつて、カリフォルニアや多くの新しい国のように、新しい入植者の健全さで有名であった。そしてそのことは誤って気候のせいにされていた。その健康の評判は、新たな病気が次々に輸入されることで、次第に消えていった。そして、採掘現場ではいくつかの消化器疾患が流行した。その病気は多くの人々が普通の町にならある給排水の器具なしに一緒に居住している野営地やその他の場所に伝播した。下水の汚物を含む水による下痢の発生はよく知られている。ロンドン南郊外のいくつかの地区に住むことになり、the Southwark and Vauxhall 会社から供給されたテームズの汚れた水を飲むことで下痢にかかってしまった多くの人から私は情報を得てきた。船員たちはテームズの水を(それが自然と浄化される前に)飲むことで同様に罹患する。そして私は最近St. Petersburgに住む医師から、よそから来た人はほとんどいつもNeva(町の下水を引き受けている)の水を飲むことで下痢と疝痛に襲われると知らされた。1853年の秋、Croydonで下痢症が非常に流行した。町の外科医のCarpenter氏は井戸の汚れた水が原因であることを見つけた。Croydonの人々の9割がthe Board of Healthから供給された新しい水を飲んでいた。しかし、Carepnter氏を受診した32人の下痢患者のうち、25人は井戸水ばかりを飲んでいた。5人は両方からの水を飲んでいた。他の2人は井戸水を飲んでなかったと断言できなかった。(Association Journal, Oct 6, 1854.) Carpenter氏は前年にCroydonで大流行した腸チフスについても井戸水の汚染を調査していた。それは、大流行に先行して実施された地表と多くの古い肥溜めの新しい排水工事の混乱によって引き起こされた。(Loc, cit.) 起工直後に多くの磁器製のパイプの閉塞と引き続いて起こった地表への漏出が、井戸水による疾患伝播に大きく貢献したことは間違いない。米国のFlint医師は、New York, Erie郡、North Bostonで起きた例を記述している。そこでは、腸チフスは明らかに使用中の井戸水の汚染によって多くの家族に伝播された。そして、わたしは同様の他のいくつかの症例について報告を受けた。(Clinical Reports of Continued Fevers. Buffalo. 1852.)

クリミアの軍隊の間で流行した疾患はすべて(壊血病を例外として)彼らがVarnaを離れる前に存在していた。コレラ、赤痢、下痢症に罹った兵士たちはクリミアへ船出する出発の時点でVarnaからBosphorusへ送還された。Varnaでコレラにかかったフランス軍の数は英軍より多かった。しかし、連合軍がクリミアへ移動した後には、コレラや他の疾患による罹病と死亡率はフランス軍よりイギリス軍のほうがずっと多くなった。この状況の主たる原因は、フランス軍はSebastopolの手前に着陣するとすぐに丘の上から野営地の軍隊へ水を運ぶ鉄パイプを敷設したが、イギリス軍はそのような方法を全く採らなかった。
私はthe Medical Times and Gazette3月10日号のトップ記事に次のことを見つけた、「多くの兵士が飲んだ水は、最もむかつく汚物が浸み込んでいた。というのは、バラクラバ周辺で飲用に使われていた唯一の水は、ほとんどが隣接する山から流れてくる小川の水であり、そのすべての経路で死んだ馬の死骸、食肉処理された牛の雑物、ときには人の死体さえ投げ込まれていた。」この川には軍隊の排泄物も流れ込んでいたに違いない。というのは、
この種の汚染(排泄物)から川を守るどんな方法も、上に述べた汚染(死骸)からも川を守るであろうから。セバストポールの手前に英軍の一部に水を供給するいくつかの泉がある。しかしながら、地面は石灰岩と粘土でできており、どちらも砂岩や砂利の性質(有機物を酸化し破壊する)を持っていない。したがって、泉もまた軍隊の排泄物で汚染されているということは極めて有り得ることである。泉の状態と水の性質の適切な調査はこれを
確認するのに役立つであろう。というのは、化学も顕微鏡も病毒の検出に対しては何もでいないが、土壌に浸透する動物性物質が水に到達する前に完全に硝酸や他の無機物質に変化するかどうかを確認するために用いられてきたようだ。軍隊へのラム酒の配給は汚染水の媒介によって疾患伝播のおそらく大きな原因になってきた。ビールは希釈を必要としないし、紅茶、ココア、コーヒー、ココアは常に沸騰水で作られる。一方、蒸留酒は水(それは一般に煮沸されない)で希釈されることを必要とする。水の媒介によって伝播するすべての疾患はまた水なしで病毒を飲み込むことによっても伝播することは全く明白である。
したがって、手を洗う水の不足が兵士の間で様々な病気の伝播を助長してきたことはありそうなことである。彼らの幾人かは小さなテントの中で一緒に生活している。これが普通の兵士が将校よりも疾患によるより高い死亡率に苦しめられてきた原因の一つと思われる。もう一つの理由はおそらく将校は飲む水についてより好みがうるさいことがある。私は幾人かの将校から、馬が飲みに来て泉を泥んこにする前に、朝早く4時頃に召使いを遠く離れた泉に水を汲みに送っていたと聞かされていた。将校は疲労や悪天候への暴露に悩まされることは兵士よりも少ないので、将校らはまた襲われたどんな病気からの回復にはより良い状況にあった。

クリミアで致死的であった主要な病気のすべてはVarnaを離れる前から陸軍に存在していたので、われわれはクリミアでその原因を調べる必要はない。しかし、その伝播の方法についてだけは調べる必要があるが、それは私が上記に示すことに努めてきたように、十分豊富であったように見える。男たちが苦しめられてきた過重労働、寒冷への暴露、時折の食糧不足は、彼らを襲った病気からの回復のチャンスを減らしたであろう。
このような環境は、コレラや発熱症のような特殊な疾患の症例を生まない。彼らが赤痢に罹ったかどうかは非常に疑わしい。そしてクリミアで流行していた4つの主要な病気の中で、上記の環境のすべてによって引き起こされるかもしれないただ一つは下痢症である。
消化しにくい食物が時々提供される。そして、悪天候に極度に曝されると後者の病気(下痢症)を引き起こすかもしれない。しかし、過重労働、寒冷、食糧不足はそれ自身で流行病を引き起こすわけではないことが、冒険家たちが事故または絶対的な飢餓でのみ死んだ北極圏への遠征の歴史の中で示されている。
気体の物質の化学が存在していなかった頃、そしてある種の熱性疾患、赤痢、その他の疾患が生体の分泌液の腐敗によるとされていた頃、これらの病気は通常の腐敗のときに発生する悪臭effluviaによって引き起こされると推定されていた。これらの意見は今も、役所の分野においてさえ、一定数の信奉者を持っている。そして、クリミアにおける最大の死亡率は、腐敗が進むにはあまりにも寒い季節に、そして多くの死んだ馬が横たわっていたが臭いを発していなかったことが特に知られていた季節に起こったということは、彼ら(信奉者)個々人の注意を喚起するだけの価値がある。

野営地における軍隊の健康を保持する主要な手段は、水をパイプで運ぶか、さもなければ汚染の及ぶ範囲外にある場所から運ぶことである。そして、このような手段が取られるまでは、はじめに煮沸されていない水は飲むべきではない。野営地の排水について言えば、それは水の汚染を防ぐのに一番に有用なものであることを心に留めておくべきである。
このルールが考慮されないときは、排水は最近のCroydon, Sandgateや他の場所のように、予防であるかわりに疾患伝播の源になるかもしれない。
男性はすべての機会で野営地の屋外トイレの使用を強制されるべきであるというジョン・プリングル卿のアドバイスは守られるべきである。そして、屋外トイレは、手がそれらによって汚れやすくならないように製作され保持されるべきである。
ジョン・プリングル卿は接触による疾患伝播をできる限り阻止するために、大きな規模の病院のかわりに、たくさんの小さな病院を持つ有利さを100年以上も前に強調している。わが同盟国は、ボスフォラスの海岸に沿って多くの小さな病院を準備することでこのアドバイスに従って行動してきた。しかし、ジョン・プリングル卿自身の国の当局はスクタリで巨大な容積の病院を作ることでそれ(アドバイス)を完全に無視してきた。そしてコメントを要しないほどよく知られた結果となった。この国の公務員たちは一般に疾患の伝播のようなものがないかのように最近まで行動してきた。しかし、スクタリでの医師や看護婦の間の大きな死亡率は彼らにその間違いをわからせたはずである。

<原文>http://www.ph.ucla.edu/epi/snow/chiefcausemortalitycrimea.html

Source:   Snow, John. Med. Times and Gazette, n. s. vol. 10, May 12, 1855, pp. 457-458. [ltr. to ed., April 1855]

On the chief cause of the recent sickness and mortality in the Crimea

By John Snow, M.D.

The diseases which have been most prevalent and fatal in the Crimea have been Cholera, Dysentery, Diarrhœa, and Fever. The fever, according to what I can learn respecting it, has been typhoid, accompanied with ulceration of the small intestines, and consequently the whole of the diseases prevalent in the Crimea have consisted mainly of affections of the alimentary canal.

The communications which I made to the Medical Times and Gazette in September and October last, respecting the influence of the water-supply on the prevalence of cholera in the south districts of London, showed very clearly that this disease may be propagated by water containing the evacuations of cholera patients. The conditions were remarkably favourable for the inquiry I undertook; the circumstances and situation of a very large population were exactly the same in every particular, except that a part received a water supply containing the sewage of London, and another part, intimately mixed with it, had a water-supply quite free from such contamination. Whilst the former part of the population suffered excessively from cholera, the latter suffered no more than the population of London on the north of the Thames. The inquiries of the Registrar-General, taken up at the point at which I left off, and continued to the end of the epidemic, entirely confirmed these results.

That the water produces its effects by conveying the cholera poison, and not by its general impurity acting as an accessory or a predisposing cause, can be proved by a number of facts. In the first place the water may be very impure in time of cholera without influencing the disease, if it does not contain what comes from cholera patients. The impure water of many pump-wells and of neglected cisterns affords numerous proofs of this, and I may also mention that Dr. Glover states, as quoted by Dr. Sutherland,* that the water from the Kent Waterworks was very similar in its chemical characters to that supplied by the Southwark and Vauxhall Company, (*Report on Cholera in 1854, p. 47.) yet my inquiries and the reports of the Registrar-General show that whilst the population supplied with the latter water suffered excessively from cholera, that supplied from the Kent Waterworks suffered but very little, except in two streets at Deptford, where the water received a local contamination, which I described in the Medical Times and Gazette in September last. Now there is this great difference between the Southwark and Vauxhall water and that of the Kent Water Company–-the former is taken from the Thames, which receives the sewage of all London and the refuse of the shipping, while the latter is taken from the river Ravensbourne, which is contaminated only by the drainage of some parts of Lewisham, Eltham and Lea, where hardly any cholera existed. Another circumstance, which shows that impure water cannot be a mere predisposing cause of cholera is, that I met with several instances in the South Districts of London, in which persons were attacked by this disease within eight and forty hours after arriving from parts of the country not affected with cholera; these persons drank the water of the Southwark and Vauxhall Company after their arrival. Lastly, the fact of a number of persons being attacked at one time, after one or two cases of cholera have occurred amongst those whose evacuations habitually contaminate the ditch or pump-well from which they drink, shows that the water contains the real and efficient cause of the malady; for if the excess of cases was merely occasioned by the ordinary impurity of the water always present, it would be distributed over the whole time of the epidemic, instead of occurring in one sudden and intense outbreak.

The proof of the communication of cholera through the medium of water, of course completely confirms the fact of its propagation in a more direct way, by swallowing the morbid poison without the water, in the crowded dwellings of the poor, in coal pits, and other situations.

The proof of the manner of communication of the other diseases which have been prevalent in the Crimea is not so conclusive as that which regards cholera, but the evidence which can be collected on the subject tends to show that they are propagated in the same way as cholera. Dysentery has often been noticed to be occasioned, or kept up, by the use of water containing human excrement. This was observed by Mr. Bell, of Cork, in the old barracks at that town.* (*Dr. Cheyne on Dysentery, Dublin Hospital Reports. Vol III.) The prevalence of dysentery among the crews of ships stationed in the great rivers of India and China has been noticed by nearly all writers on the diseases which prevail in tropical climates, and Dr. Bryson has related a number of instances in which both dysentery and fever seemed to be occasioned by drinking the water of the Yang-tse-Kiang, the Canton river, and other rivers of China.† (†Statistical Reports on the Health of the Navy. Part II. 1853.) Along with other impurities the great rivers of India and China contain the fæces of a large population, amongst whom dysentery always prevails more or less. One circumstance worthy of remark is, that Dr. Bryson and several other writers have alluded to the great frequency of intestinal worms, chiefly lumbrici, in the cases of dysentery and fever in the above situations. I do not, of course, consider there is any connexion between the other diseases and the worms, but the existence of these creatures proves that the patients have been exposed to swallow matters which have come from the bowels of other persons; as the worms can only arise from the ova of their own species, produced by the animal in its proper habitat. In the Medical Times of March 31, p. 318, Mr. Prentice relates how he contracted dysentery by drinking the water of a pool in the half-formed course of a stream in Australia. That colony was once, like California and many new countries, famous for the healthiness of the new settlers, which was erroneously attributed to the climate. Its reputation for health has been gradually dispelled as one fresh disease after another has been imported, and the diggings are infested with some of the bowel complaints which infest camps and other places where persons reside together in great numbers, without the appliances for drainage and water-supply which usually exist in a town.

The production of diarrhœa by water containing sewage matters is well known. I have been informed by many persons that they were attacked with diarrhœa on first going to live in some of the southern suburbs of London, and drinking the impure water of the Thames, supplied to them by the Southwark and Vauxhall Company. Sailors often suffer in the same way, from drinking the Thames water before it has spontaneously purified itself; and I was lately informed by a Medical man, who has lived in St. Petersburg, that strangers are nearly always attacked with diarrhœa and colic on first drinking the water of the Neva, which receives the sewage of the town. In the autumn of 1853 diarrhœa was very prevalent in Croydon, and Mr. Carpenter, Surgeon, of that town, found that it was caused by the impure water of the pump-wells. Nine-tenths of the people of Croydon were drinking the new water supplied by the Board of Health; but, out of thirty-two patients with diarrhœa who came under the care of Mr. Carpenter, twenty-five were drinking well-water entirely; five drank water from both sources, and the other two could not say decidedly that they had not drunk well-water.‡ (‡Association Journal, Oct 6, 1854.)

Mr. Carpenter has also traced the great epidemic of typhoid fever which prevailed in Croydon in the previous year, to contamination of the water of the pump wells, occasioned by [457/458] the disturbance of the ground and of many old cesspools in the new drainage operations which preceded that outbreak.* (*Loc, cit.) The stoppage of many of the porcelain pipes, and the consequent leakage from them into the ground soon after they were laid down, must have greatly assisted in the propagation of the disease through the pump water. Dr. Flint of America relates an instance occurring at North Boston, Erie County, New York, in which typhoid fever was apparently communicated to a number of families by the contamination of the water of a pump-well which they were using,† and Ihave been informed of some other instances of the same kind. (†Clinical Reports of Continued Fevers. Buffalo. 1852.)

The diseases which have prevailed among the troops in the Crimea were all present, with the exception of scurvy, before they left Varna, as soldiers ill of cholera, dysentery, and diarrhœa were sent from the latter place to the Bosphorus at the time the expedition sailed to the Crimea. The French when at Varna suffered from cholera much more then the English, but after the allied armies removed to the Crimea the sickness and mortality from cholera and other diseases was much greater amongst the British troops than the French. The chief cause of this circumstance probably is that the French, soon after sitting down before Sebastopol, laid down iron pipes to convey water to the army from the hills above the camp, whilst the English adopted no such measure.

I find from a leading article in the Medical Times and Gazette of March 10, that "the water which many of them (the soldiers) drank was impregnated with the most disgusting filth, for it seems that almost the only water used for drinking in the vicinity of Balaklava is that of a small stream which flows from the adjacent mountains, and in its whole course receives the remains of dead horses, the offal of the slaughtered oxen, and even sometimes bodies of dead men." This stream must also have received the excrement of the troops, for any measures which would have defended it from this latter kind of pollution would also have saved it from those which are mentioned above.

There are some springs which supply water to part of the British army before Sebastopol. The ground, however, consists of limestone and clay, neither of which has the property which is possessed by sandstone and gravel of oxidizing and destroying organic matter. It is extremely probable, therefore, that the springs are also contaminated with the excreta of the troops. A proper examination of the situation of the springs and of the nature of the water might help to decide this, for though neither chemistry nor the microscope can do anything towards detecting morbid poisons, they may be used to determine whether or not the animal matters which percolate the soil are entirely changed into nitrates and other mineral substances before they reach the water.

The distribution of rum to the army has probably been a great cause of the propagation of disease through the medium of polluted water. Malt liquors do not require to be diluted, and tea, coffee, and cocoa are always prepared with boiled water; whilst on the other hand distilled spirits require to be diluted with water, which generally is not boiled.

It is quite obvious that every disease which can be communicated through the medium of water may also be communicated by swallowing the morbid matter without the water. It is, therefore, probable that the want of water for washing the hands must have assisted in the propagation of the various maladies amongst the soldiers, several of whom live together in a small tent. This is most likely one of the reasons why the common soldiers have suffered a greater mortality from disease than the officers; another reason probably is that the officers would be more particular about the water they drank; I have been informed of some who sent their servants a great distance for it, as early as four o’clock in the morning, before the horses should come to drink and render the stream muddy. As the officers suffered less from fatigue and exposure to the weather than the soldiers, they would also be in a better condition to recover from any disease with which they might be attacked.

Since all the chief diseases which have been so fatal in the Crimea were present in the army before it left Varna, we do not require to look for their causes in the former place, but only for the means of their propagation, which appear to have been abundant enough, as I have endeavoured to show above. The overwork, the exposure to cold, and the occasional privation which the men have suffered would lessen chances of recovery from the diseases with which they were attacked. These circumstances could not produce a case of specific disease, like cholera or fever; it is very doubtful whether they could produce dysentery, and the only one out of the four chief diseases which have prevailed in the Crimea that might be caused by any of the above circumstances is diarrhœa. The indigestible food sometimes served out, and the extreme exposure to the weather might cause this latter complaint, but that extreme labour, cold, and privation do not of themselves occasion epidemic diseases is shown in the history of the expeditions to the Arctic regions, where the adventurers die only from accident or absolute starvation.

At a time when the chemistry of gaseous substances did not exist, and when certain fevers, dysentery, and some other diseases were attributed to a putrefaction of the fluids of the living body, these diseases were supposed to be occasioned by the effluvia given off during ordinary putrefaction. These opinions have still a certain number of adherents, even in official quarters, and it is worthy of the attention of those individuals that the greatest mortality in the Crimea took place at a time when the temperature was too low for putrefaction to go on, and when it was especially noticed that though many dead horses were lying about they emitted no smell.

The chief means of preserving the health of troops in a camp is to have water conveyed in pipes or otherwise from some place where it is out of the reach of contamination, and until such a measure can be taken no water should be drunk that has not first been boiled. As regards the drainage at a camp, it should be borne in mind that it is chiefly useful in preventing the pollution of the water. When this rule is not considered, drainage may become a source of the propagation of disease, as recently at Croydon, Sandgate, and other places, instead of being its prevention. The advice of Sir John Pringle that the men should be compelled to make use of the camp privies on all occasions ought to be attended to, and the privies should be so constructed and kept that the hands would not be liable to get soiled by them.

Sir John Pringle insisted more than a hundred years ago on the advantage of having a number of small hospitals instead of one of greater extent, in order to check as much as possible the spread of disease by contagion. Our Allies have acted on this advice in preparing a number of small hospitals along the shores of the Bosphorus; but the authorities of Sir John Pringle’s own country have totally disregarded it in forming an hospital of gigantic dimensions at Scutari, with a result that is too well known to require comment. Official persons in this country have generally acted of late years as if there were no such thing as the communication of disease; but the great mortality amongst Medical men and nurses at Scutari ought to convince them of their error.

18, Sackville-street, April, 1855.

2015.5.19作成